第二部 分析[編集]
21 - セクトによる危険[編集]
支配、被害、賠償
セクトによる支配[編集]
あるグループをその規模や目的に関係なく『セクト組織』と認定するための定義の一つに、組織および教祖への無条件の忠誠心を育むために信者の人格を変える教団の能力が挙げられます。最初、人が新たに自分のよりどころとなるグループの要求に従おうとするのは自由意志によるものです。それは前向きな希望と約束に満ちた恵みの代償として、または満たされなかったあらゆる種類の渇望(求道、個人的充実への熱望、世界を変えたいという希望、虚無感を埋めたいという願いなど)を満足させるための選択なのです。やがて、しだいに以前のあらゆる価値基準を捨て、教団が課す価値観を受け入れるようになります。自分に代わって生活のすみずみまでを支配しようとする教団の干渉、教団が示す新たな行動基準、万人を同じ目的へと導くための学習や特殊用語、儀式、教団の規律に隷属し完全に服従する従順な信徒のモデルにしたがって行なわれる教育を受け入れます。教団による支配は恐るべき人格の変化となって表われます。感情面では他人にたいする過敏なまたは無感覚な反応、行動面では以前の道徳的基準を捨て去り、教団の利益を理由に違反行為に走り、批判精神を失い、自分自身にとってもまた他人にとっても不合理な、危険でさえある行為を実践するようになります。セクトによる支配が人間の尊厳にたいする犯罪的行動へと駆り立てるプロセスをいちばん明快に説明してくれるのは、アンヌ・フルニエとミシェル・モンロイがその共同研究のなかで描いてみせた、教祖の『反逆者』としてのイメージなのかもしれません。すなわち、『反逆者は人をタブーと禁忌とから解放する使命をもっている』からです。教団の理念の体現者として、グループの中心人物として、教祖は善悪の唯一の審判者なのです。彼の前では、信徒は彼の欲望を満足させるための道具としてのものの状態にまで貶められます。『信徒は従来の自分の倫理基準の拠ってきたるところを忘れ、自分の世界観の筋道を忘れ、もっぱら教祖の解釈に従わなければならない』
被害[編集]
反逆を唱える者は、当然ながら一般法の違反、自分自身および/または他人への危害をかえりみることはありません。ところで、セクトによる支配の特徴の一つは、損害の評価および法的責任の所在の決定の難しさにあることは疑いがありません。物的損害は容易に数字化できますが(詐欺、収入の横領など)、これは被害の一部にすぎません。セクト的運動の被害者となる信徒は、もう一つのタイプの遥かに評価の困難な被害を受けているのです。運動から脱け出るとき、信徒は自分の現在と未来とが重い心理的後遺症によって微塵に打ち砕かれていることに気づきます。しかし、信徒自身がある意味で自分がこうむった損害の合意上の実行者であり、原因となる行為に積極的に参加していたがために、自己の回復―すなわち自分の損害賠償―の問題はひどく困難になるのです。一方、性犯罪の犠牲者と同様に、ときには数年にもわたる長いセクト経験によって被害を受けた信徒が提訴の決心をするまでに法定の時効期間を過ぎてしまうことが往々にしてあります。刑事事件として予審に付すタイミングを逸してしまうのです。ようやく決心をし、こうむった損害の賠償を得るべく闘う準備ができたそのときになって、時効の問題に気づくケースが多いのです。MIVILUDESが2003年提案書においてセクト支配の被害に関する時効規則の変更案をまとめたのは、こうした現実を憂慮した上でのことでした。心理学者アンヌ=リジー・ディエットも『元信者の引き受け』のなかで指摘するように、セクト経験に罪悪感を抱く元信者は精神的にもろく、こうむった被害は癒されぬ傷として、教団を脱け出たあとも長年にわたってそのまま残ってしまいます。セクトの支配は倒錯した手法により、かつ集団心理下で強制されるために、犠牲者はディエットが明快な表現で『苦悩と不安によって侵略された思考の場』と指摘したトラウマを抱えるのです。民法典第1382条が明示する損害の定義は、直接的帰結として損害賠償を検討する義務を行為者に課しています。『他人に損害を生じさせるいかなる行為も、過失によってそれをもたらした者に賠償する義務を負わせる』 しかしながら、ことセクト関連の事案では刑法上および民法上の責任の問題はその評価がきわめて困難です。 すでに見たように、セクト支配は違法行為や軽罪を構成するような行動、とりわけ信徒が肉体的および/または心理的拘束状態におかれていなかったらあるいは取らなかったかもしれないような行動へと容易に駆り立てるため、その結果もたらされる損害の責任を判断することはひどく難しいのです。『支配下にある行為者の故意は往々にして否認されてしまう。その上、それら行為者の姿は相互に影響しあう関係にある共同体のなかに紛れ込んでしまう』とミシェル・モンロイは強調しています。『犠牲者であったからといって、起きたことにたいし何らの責任をとらないでいいということにはならない。支配下にあった人たちへの一種の〝一時的未成年者身分〟の認定を過度に推し進めると、それらの人たちの完全な権利を有する個人としての身分を無効にするような事態に陥ってしまうだろう。一方、もしいずれの裁判所においても法律が万人にたいして平等であることを望むのなら、単に主観的なだけの判決を許容するような法的曖昧さのなかにとどまることは許されない』
損害賠償[編集]
賠償の問題は、MIVILUDESの指針検討委員会メンバーであるギヨーム・カゼル弁護士を始めとする複数の法律家によって研究されています。弁護士会全国評議会との共催で行なわれた『セクト的逸脱行為に直面する弁護士』をテーマにした討論会の折に、同氏はその講演のなかでこう述べています。『損害が賠償されるためには、その責任者を認定しなければなりません。1人ないしは複数の人間が、個人的または連帯の責任を問われることもありましょう。しかし損害の行為者が、所属する組織を代表して行動した場合には、その組織の責任が問われることもありうるのです』 カゼル氏はそこで、セクト的逸脱行為による各種の被害を一覧化する作業を、専門家、関係諸団体および犠牲者自身の協力を得て行なうことを提案しています。同氏はこう説明します。『もちろんそこには賠償すべき損害として、たとえば暴力による身体的障害、あるいは詐欺行為による財産の一部の収奪のように、特定的な行為の結果惹き起こされた損害を見出すことができるでしょう。しかし他方では、情緒的および心理的トラウマもリストアップされるはずです。この場合、問題はそれを同定することの困難に加えて、そうした損害をセクト的逸脱行為と結びつけることの難しさにあります。ある種のケースでは、たとえばグループに参加した時点と離脱した時点での状況の悪化を検証することによって、セクト的逸脱行為の存在を判定することがあってもいいのではないでしょうか? あるいは心理的ダメージが犠牲者に与えた経済的影響(賃金および年金の損失、グループ参加以前と同等の職業的地位を得ることが不可能なこと、生活上の困難など)を計量化するために、精神科医が犠牲者が受けた心理的損害を詳述する努力をしなくてもいいのでしょうか? 近親者の苦しみもまた考慮されるべきでしょうし、それは交通事故で父、母または子供を亡くしたときと同様に斟酌されるべきでしょう。(……) アブー=ピカール法によって強調された重要性にも関わらず、刑法が狭義の解釈に立脚している以上、セクト的逸脱行為にたいする強圧的手段には慎重な運用が求められます。これにたいして、民法典は第1382条以下の条項において、損害が刑法違反に関わるものか否かを問わず、損害賠償の義務を行為者に課すための一般規則を定めています。裁判所は当事者の申立てと専門家の報告書に基づき、こうむった損害の事実および重要性、犠牲者が標的となったと主張するセクト的逸脱行為との関連性、さらにはセクト的逸脱行為に当たる誤った行動が当該グループの誰と誰の責任によるものかを判断します。 犠牲者は、みずから損害賠償を求めて大審裁判所に直接的に提訴することができます。(……)この場合、裁判における方針を決めるのは犠牲者自身になります。 裁判官は、グループおよび損害の行為者にたいして連帯して損害を賠償するよう求めることができます。裁判官は賠償可能なものとそうでないものとを区別します。認定され計量化された損害、とりわけ他の責任問題訴訟においてすでに認められたものについて賠償決定を下すほうが容易であることは想像に難くありません』 民事裁判所への提訴をも視野に入れるという考え方は、原告に賠償請求の新たな展望を開くものといえます。 セクト的逸脱行為が刑法の処罰対象になりつつある状況と並行して、民事裁判官は犠牲者にたいし新たな希望の保証を与えることになります。 本報告書はしたがって、実質的損害賠償の方法を見出すべく、刑法上の責任のみならず民事責任の角度からもたらされる可能性についても注意を喚起しようとするものです。
22 - 判決[編集]
今年は、非営利社団の税法上の地位または文化的非営利社団に適用される公序の概念といった多様な分野においていくつかの重要な判決が下されました。 2004年はまた、2001年6月12日付法律の弱者につけ込む行為に関する条項の適用による最初の判例が出た年でもありました。2004年11月25日ナント軽罪裁判所において下されたその判決は、一部のセクトのきわめて特異な危険性を証明するものでした。本件に関する報告を記載するのは、社会に対するセクト的逸脱行為の諸要件を明らかにするためです。
1. エホバの証人協会に関する2004年10月5日付破毀院決定 2004年10月5日、破毀院は非営利社団『エホバの証人』によって提起されたヴェルサイユ控訴院第一部による2002年2月28日付判決の破毀申立てを却下しました。同判決は、2000年7月4日付でナンテール大審裁判所が下した判決を支持し、同社団からのオー・ド・セーヌ税務署長に対するすべての請求を棄却するものでした。
1995年11月から1999年1月にわたって行なわれた税務調査の結果、非営利社団『エホバの証人』は強制課税手続きならびに1996年および1997年の申告税額に関して22,920,382ユーロの修正に加えて罰金および延滞金利として22, 418,464ユーロの更正通知を受けました。 告発対象となった会計処理は、同社団が信者たちから寄付の名目で集めた金額に関するものでした。控訴院は次のような判断を下しています。 -帳簿に計上されている当該金額は手渡し贈与を構成し、無償による譲渡所得の課税対象である。 -税務調査の際に当該帳簿を提示した事実は、租税一般法典第757条第2項の意味での暴露に相当し、同社団は法律に定める期限内に手渡し贈与を申告する義務があり、それを怠れば強制課税手続きが課せられる。 -暴露が自発的であったか、偶発的であったか、または誘導的であったかは問わない。
この判決から、文化的非営利社団の性格は、対象租税を管轄する行政裁判官の管理にゆだねられていることがわかります。控訴人である『エホバの証人』は、県知事による贈与および遺贈課税免除許可の根拠を自らの立場に照らして明らかにすることができなかったため、その他の『エホバの証人』の地方組織が1993年以降それぞれの知事から得ている許可を有効に利用することができなかったのです。これらの地方組織は、行政裁判所の管理の下で活動することにより税務規則による一定の利益を享受しています。
2. 非利益社団「勝利のヴァイラ」に関する2004年4月28日付の国務院決定:同じ信仰を実践する文化的非営利社団に対する公序侵害の概念がより十分に配慮された決定
1997年6月26日、非利益社団「勝利のヴァイラ」会長はアルプ・ド・オート・プロヴァンス県知事に対し寄付金や遺贈物の受け取りが認められるよう申請しました。行政当局は申請を認めませんでした。行政裁判所およびマルセイユの行政控訴院への訴えが却下された後、当社団は国務院に対し、団体が文化的非利益団体としての恩恵を受ける資格を有していることを認めるように要求しました。 国務院は、文化的非利益社団「勝利のヴァイラ」が教義上オーミズム信仰の公の場での実践を唱えていることを認めた上で、アルプ・ド・オート・プロヴァンス県知事に対し申請のあった時点において、その宗教活動と無縁ではない行為により宗派の創設者に対し複数の刑事訴訟が提起されていることを指摘しました。国務院はまた、都市計画法に対する重大かつ故意の違反により様々な有罪判決を受けている他の2つの非利益社団と密接に関係して活動を行っていることを付け加えました。国務院によると、これらの非利益社団の間では一種の「利害共同体」が形成されており、同じ教義に準拠し、共同の指導者に率いられているため、不可分な形態で同じ信仰を営んでいるとみなされます。 上級審では、知事がこれら2社団の不正行為による公序侵害を理由として、3つ目の社団に対し文化的非利益社団の地位による恩恵を与えることを拒否したことは法的に誤りではないと結論が出されました。
3.宗教社団イル=ド=フランスサイエントロジー教会(ASESIF)に関する2004年9月28日付け破毀院刑事部の判決:セクト的性格を有する運動に関係する法人に対する初の刑事上の確定有罪判決
2004年10月1日に下された判決では、破毀院は宗教社団イル=ド=フランスサイエントロジー教会(ASESIF)およびその会長に対し、「情報および自由」に関する法律違反、この場合は関係者からの正当な異議を無視して個人情報を取り扱った件でパリの控訴院が下した執行猶予付き罰金5000ユーロの有罪判決を確認しました。というのも、社団の会員名簿から削除するよう関係者による明示的な要求があり、CNIL(情報処理と自由に関する全国委員会)が介入し、ASESIFの側から「表明された要求に応じるために必要な手続きを全て実施した」と回答があったにもかかわらず、状況に変化がなかったためです。社団の会長もまたCNILの行動を妨害した罪で有罪となりました。予審では、「サイエントロジーのすべての組織が信者管理に同一のソフトウェアを使用しており、ASESIF会員の連絡先が国際サイエントロジー教会のファイルに自動的に転送されていた」ことが明らかになりました。1978年1月6日付けの情報処理および自由に関する法律が適用され、2001年6月12日付けの法律施行前の行為に対して下されたこの有罪判決は、法人とみなされるサイエントロジー教会に関連した非営利社団に対するフランス初の刑事上の確定有罪判決となりました。
4.隷属状態にある人の弱みを利用し詐欺行為を働いたことに対する初の有罪判決
アブ=ピカール法適用の可能性について示した最も重要な事件は間違いなくネオファール運動に関する事件です。2004年11月25日、ナントの軽罪裁判所はネオファールの指導者に対し、執行猶予付き禁固3年、保護観察5年の有罪判決を下しました。裁判所は、重大あるいは反復的な圧力の行使、あるいは自身に対し非常に有害な行動や意見放棄を行わせるために判断力を歪める独自の手法が使用されたために心理的または肉体的に隷属状態に置かれた信者4人の無知および弱さに付け込んだ罪で指導者を有罪と認定しました。 この有罪判決は被告が控訴したためまだ確定していませんが、人権および基本的自由を侵害するセクト的運動の予防および取締りの強化を目標とする2001年6月12日付けの法律の規定に基づき、刑法223-15-2条の規定に従い裁判所の下した初の有罪判決となりました。
事実経過
2002年7月、失職中の体育教師が車に身を投げました。彼はすでにその数週間前、静脈を切り込み、病院に搬送中に走行中の車から飛び降りていました。そのすぐ後、さらに2人が自殺未遂を起こしました。1人目は休職中の教育指導主事が、入院していた病院の屋上からまさに飛び降りようとするところで裸の状態で発見されました。彼女は、自らを別の惑星へ導いてくれるはずの「王子」を探していたと説明しました。翌日、彼女の夫が同じ建物の窓から飛び降りようとしました。いずれも「ネオファール」と呼ばれる同じ教団に属していました。
ネオファール教団
1997年に死亡したこのブルターニュ出身の密教創設者の書や思想に感銘を受けてネオファール教団に入信した者は20人を超えたことはありません。その教義の起源は密教、キリスト教、交霊術、黙示録など非常に幅広く及んでいます。教義や信仰に関する要素を見るだけでは、教団の逸脱を説明するには不十分です。しかし最近の歴史を見ると、近年非常に衝撃的な事件が、世界の終わりがまもなく到来するという神格化された万能の教祖の元に結成された閉鎖的な共同体で発生しています。司法捜査により、夫婦が教団の定める基準に従い、教団の得られる利益が最大になるように再婚させられていたことが判明し、教団の指導者が信者に対し非常に大きい影響力を及ぼしていたことが判明しました。信者はまた、指導者が信者に対し受けさせていた屈辱的で下劣な浄化儀式についても語りました。 信者に対するコントロールは、指導者に加担する者により準備された儀式である魂との交信の儀式を執り行う際に一層明確に現れます。そのため、このような術策は同じように信仰や信者の従属を強化する目的で、偉大な祖先が蘇り現れたかのように偽装を行っていた太陽寺院のある種の活動を思い出させます。
最後に、教団内では選ばれし者として認められた信者が、邪悪で有害と考えられた外界を拒絶し、自給自足の生活様式を追求するという理想を行動に移すよう求められていたことも判明しました。信者の中には職業活動や社会生活を全て放棄し、家族との縁を切った者も存在します。このため、それまで家族に強い関心を持っていた信者が、子供に関心を持たなくなることがあります。教団の主な被害者3人は失業中であったり、医者である別の信者が発行した名目的な病気の診断書を利用して休職していました。このように、ネオファール教団の有する外界と断絶しようとする願望、そして指導者の人格ゆえに、教団が基本的自由を侵害する行動を取り、法律や規則に違反する公序を脅かす存在になったことがわかります。
絶えず大災害が差し迫っていると説き、常に説きながらいつも先延ばしにすることで、非常に弱い信者は困憊状態に陥り、自己破壊的な行動を取るまでに至りました。
ネオファール教団の責任者に対し有罪判決を下すことで、2001年6月12日付けの法律はセクト的性格を有する一部の運動による特に有害な術策に対する追及や取締りに利用できることをナントの裁判官は示しました。しかし被告が控訴しているため、判決はまだ確定していません。
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